指先に何かが触れて、目を覚ました。

―――明け方か。
ごく淡い紫色の光が、寝室のカーテンを縁(ふち)どっている。





隣に目をやると、妻がこちら側を向き安らかな寝息を立てていた。
どうやら自分の腕が伸びたときに、妻の体に触れていたらしいが、彼女は気づかぬまま穏やかな表情で眠りについている。
「聴力が落ちてから、よく眠れてしまうんです」と、笑いに紛らわせて言っていたことが思い出された。

羽毛の肌掛けからすらりと伸び出た、妻の、白く長い腕の柔らかな内側と、首もとからのぞく鎖骨の脇には、昨夜彼がつけた痕が紅く残っている。

彼も半分身体を回して、妻に向かい合うように体勢を変えた。

 「寝顔のやさしい人に、悪い人はいません。だから、先生もやさしいんです」

と、知り合ってから今まで何度か彼女から言われてきたが、それを言うなら彼女の方こそどれほど優しげに穏やかに眠ることか、と思うことがある。

それとも、臆面もなくそんな事を思ってしまうこと自体が、まだ自分が幼稚な人間のままでいる証左かもしれないが。

さらりと軽い髪が流れて彼女の顔にかかっているので、手を伸ばしそっと耳にかけてやる。
彼女の方は相変わらず規則正しい寝息だ。

つられてこちらもまたうとうとと夢の国に引きずり込まれていくような、とろりとした、穏やかな夜明け。

まだ時計を気にするような時間ではないことは、外の光がごく弱いことから分かる。

もう一度手を伸ばして、ずれた布団を掛けなおしてやる。

―――と、夢心地なのかかすかに覚醒したのか、ふふ、と妻の寝顔がまろく柔らかく微笑み、そのまま彼の腕の間におさまるように擦り寄ってきた。

15歳年若の彼女は、平素からこんなふうに無防備に彼に体温を預けてくることがある。

いつもだったら、反射的に眉根をしわ寄せてみせたりもするのだが、ここは自宅の寝室で他には誰もいないし、何より当の相手はしっかり眠りについている。
こんなときくらいは、わざわざ渋面を作ってみせなくてもいいのかもしれない。

代わりに、自分も身体を寄せて彼女の髪に顔を埋めた。
身体の線を添わせるようにして抱き包(くる)めれば、妻の肌のしっとりとした柔らかさと骨のか細さがじかに伝わってくる。

・・・すぅ、と穏やかに一度、夫の腕の中で大きく息をついた彼女の髪の香りを、同様に深呼吸のように一度吸い込んで、彼もまたまどろみの中に意識を沈ませた。


(了)


《あとがき》

ルミ、抱き枕状態(笑)。

ちょっと艶っぽくなりまして、書いてて照れてしまいました。
なんだかこそばゆくなるほど恥ずかしくて、どこにも「カン・マエ」とか「ルミ」と名前を書けませんでした・・・

なぜ私の話はこんなに「眠っている」場面が多いのか、と自問。多分自分自身がいつでも眠いからだろうと結論。

「こんなデレついたカン・マエはいやー!!」
というお叱りを戴きそうです。ごめんなさい。

町なかでオーボエを吹くガビョンさんのことをルミがカン・マエに知らせに指揮者室に行った場面(私がカン・マエ×ルミを「将来夫婦」と認定したシーン(笑))が大好きで、何度も繰り返して見ています。
「寝顔が優しい人に悪い人はいないって。先生、優しいってばれちゃいましたね」と、それはそれは可愛らしくルミが言うのへ、「次は歯ぎしりしているところを見せてやる」ってカン・マエは憎たらしく返してますね。

で、何度目かで思ったんですが、「次は」ってことは、あなた、自分の寝顔をルミに見せること前提ですかっ!!ルミの横で(←横だなんて誰も言ってない)眠ること前提ですかっ!?
と、その甘さに悶えてしまった私の妄想癖こそ問題有りでしょうか(笑)。
いやはや、無意識の発言、気を付けたほうがいいよカン・マエ・・・ルミのこと好きなのだだ漏れだよ・・・

実際には彼は、市響の練習中に居眠りしたり、審議会の途中でヘッドホンかけてさっさと夢を見ちゃったり、高熱出して一晩中みんなに看病してもらったりと、かなり多くの皆様に寝顔を提供しているんですが。