キスにまつわる短編オムニバス風・3連作です。
(後日ひとつ増え、4連作になりました)

まさかこのカップリングでこのタイトルのSS書くとは思わなかったな(苦笑)
原作ドラマでの2人を思うと、隔世の感があります。いや、結婚したり子供生まれたりしている時点で、驚き桃の木山椒の木、なんですけれどもね。

この夫婦、いつまでヨリヨリ(アツアツ)なんでしょうか・・・。

第一弾は、バレンタインSS。



kiss×kiss×kiss(1)
  
 
 
◇◆◇ショコラ◇◆◇


「今日は何の日でしょーかっ?」

語尾をスタッカートなみに跳ねさせて、マエストロの新妻は、リビングのソファでくつろぐ15歳年上の夫のもとへやってきた。
背中に両腕を回して、どうやら何かを隠しているらしい。

2月も半ばの休日の午後である。
外は昨夜の雪が凍るほどに冷え込んだ一日(いちじつ)であるが、彼らの邸宅はほどよく暖房が効いていた。

「・・・・・・」

  ・・・こいつの誕生日とやらはつい先日過ぎたはずだが・・・?

まともに取り合う必要があるのかどうかを見極めるように、カン・マエが眼鏡越しの視線で妻を見つめ返すと、その時間すら惜しむのかそれとも自分の夫がこうしたことを当てられるはずがないと思っているのか、簡単にトゥ・ルミは目の前に答えを取り出した。

「じゃ~ん!」

マエストロたる夫からしてみれば、重厚さのかけらもないと指摘せざるを得ない効果音付きである。

ルミの両手にちょうど乗るほどの大きさの箱は群青色の紙に包まれグレーのリボンのかけられたシックな装いで、見るからに贈答用だ。

「なんだこれは?」

怪訝の表情で問うと、妻はなぜか少しばかり得意げに白く長い鼻をわずかに上向きにして

「今日はバレンタインデーでしょ?」

とにこやかに首を傾げた。

「バレンタイン・・・ああそうなのか。・・・だから?」

「・・・・・・」

しかし、その夫の反応は、ルミが期待したものとは著しく方向性も程度も違っていたらしい。
とたんに言葉に詰まるように唇を結んでから、やけに目尻の垂れた栗色の眼差しで、彼女は彼の「だから?」に応えて言った。

「・・・だから・・・。あなたに、チョコ・・・レート・・・」

語尾がすぅっと消えるように小さくなり、同じ様子で彼女の両肩が消沈の形に下がっていく。
カン・マエへと差し出されていた包みごと、ルミの腕が所在無げに力を失う。

彼女の意図を未だ半分ほどもつかみきれていないまま ―何しろ彼のこれまでの人生で「バレンタイン」なるものではしゃいだ日々など皆無であるので― 彼はさらに地雷を踏んだ。

「チョコレート・・・?別にいらないぞ、俺は」

それを聞いて、く、と、トゥ・ルミは瞬時息を詰めてから、

「・・・でもっ!ソクランにいた時も渡せなかったし、去年は全然会ってなかったから、今年初めて!やっと!あなたのために準備できたのに!せっかくベルギー王室御用達のチョコなのに!」

なんとか形勢を立て直そうと一言ごとにやけに力強く区切ってそんなにも目をくるくると見開いて主張されても、己の人生においてあまりにも些末なことであるがゆえに、いかんとも反応しがたいではないか。

そもそもバレンタインデーだとかクリスマスだとか、さらには本来は誕生日ですらそれほど騒ぎ立てて浮かれはしゃぐものではなかった。彼のこれまでの人生の中では。

加えて、ようやく妻の意図や期待が遅ればせながら理解でき、少しばかり面映ゆくもほの温かい感情が胸の底辺に湧いたからとて、いやそうであればあるほど、素直にそれを表面に出して笑顔で妻に礼を言ったりするなど、まるきりそれはこの自分の性分ではないという自覚ばかりが強いから、逆に彼は必要以上の渋面になる。

声にまでも普段に倍する苦味を交えて彼は彼へのプレゼントを差し出す妻にこたえた。

「そんなにありがたいものなら、おまえが食べればいいだろう。とにかく俺はそういったものは好まん」

そっけなく、さらににべもなく妻からの愛情表現を突き返し、おもむろに足を組み替えて彼はふいと顔をそむけてしまう。
とたんにしょげてうなだれる新妻の様子に、今さらながら少々つっけんどんに過ぎたかと思い返してももう遅い。

「・・・・・・」

足元のラグマットに身を伸ばして昼寝中の愛犬に視線を留めてみるが、もちろんそこからの助け舟など期待できそうもない。
どうしたものかと頬を硬く引き結んでいるうちに、ルミは細い肩を落としたまま静かに彼に背を向けてキッチンへ戻ろうとするので・・・

「・・・まあしかし、それほど言うなら・・・」

とぼそりと言いさすと、とたんにくるっと彼女は勢いよく振り返った。
こういう時ばかり格段に聴力が良くなるらしい。

明るい茶色の瞳が期待にキラキラと輝いて、唇はこらえようもなく笑みの形に口角が上がっていて、さらりとした髪が振り返りざまにぱさりとなびくところなど、まさに「散歩に行くぞ」と声をかけた時のトーベンと同じ様子ではないか。

あまりに分かりやすく妻が期待して喜ぶのでとたんに更なる渋面を作らざるを得ず、先ほどの反省もどこへやら彼はどうにも素直でない調子で、

「バカ、どんなものだか見るだけだ。食べるだなどと言ってないぞ」

「いいんです!見たらきっと食べたくなるから!すっごくおいしそうなんだから!」

と、単純な妻は単純な様子でそう言って、今度は足取りもスタッカート並みに跳ねさせながらソファの脇まで軽やかに寄ってきた。
カン・マエは手にした雑誌をセンターテーブルに置きつつ

「そこまで言うなら、まずおまえがひとつ食べるんだな」

と言いながら3人がけのソファの自分の隣の空いている箇所を軽く手でたたいて示し、妻に座るように促した。

きゅっと結んだ唇に嬉しさをまとわせてルミがそこへ座り、いそいそとリボンをほどいて箱を開ければ品の良いトリュフが数個並んでいる。

「ねっ?」

おいしそうでしょ~?
という調子ですぐ隣から彼を振り仰ぐ笑顔の妻をどこか眩しいような目の細め方をして見つめ返してから、細縁の眼鏡を外し、ちらりと視線をチョコに移して彼は黙って頷いた。

細い中指に黒と銀の意匠の「先生の指輪」が嵌められている右手でトゥ・ルミはそのうちのひとつを摘み上げてカン・マエに差し出すが、そっけなく首を横に振られ、苦笑してから自分の口に含む。

「ん~!おいし~い!」

「・・・・・・」

わずかに目を細めて口の中のそれをゆっくりと味わっているルミの横顔を黙ったまま見つめていた彼は、そこでおもむろに片手を伸ばして妻の後頭部へ回し―――。

「―――・・・」

くい、と引き寄せると首を傾けて唇を合わせた。

予告も予想もない、突然の、キスだった。

「・・・・・っ!」

濃厚なチョコレートを味わっていたルミが、状況を理解するまでの一瞬だけ大きな胡桃色の眼を見開き、それからきゅっと肩に力を入れて慌てて目を瞑る。

それを知って歪みに似た笑みに片側の口角だけ上げつつ再度味わう形にゆっくりと妻の唇をなぞってから、カン・マエはそっとそれを離し、離れぎわに艶のある唇の端についた粉砂糖をぺろりと舐めあげた。

「・・・これで、もらったことにする」

しれっとした表情に少しばかりからかいのこもった意地の悪い笑みを皺として刻んだ彼は、対照的にただぱちくりと瞬くだけの妻に囁く程度で言う。

「―――・・・」

「あとはおまえが食べればいい」

目元を桜色に染め上げてやけに背すじを固まらせて座ったままの妻を一瞥し、彼はまるで物分りの良い夫のようにそう言って腰を上げた。
そして部屋の出口に向かい数歩行きかけてから、くるりと顔だけで振り返り、

「それとも、おまえが食べて確かに『美味しい』というのがあれば、もう一度もらうことにするが?」

にやりと口角を上げつつ

「・・・もちろん今と同じ方法でな」

と付け加え、そのまま部屋を出て行った。
ソファに置き去りにされた彼の妻はいまやチョコを味わうことも忘れて、上気した両頬を両手で押さえながらそんな夫の背中をぱちくりと見送るだけである。

彼らの足元から一部始終を見ていたコリー犬はさも眠たそうにあくびをひとつすると、再び午睡(ひるね)へと戻るべく静かに頭を下ろした。


(了)


バレンタインデー。欧米では男性から女性に花を贈るらしいのですが、以前見た韓国ドラマで確か女性が男性にチョコを送っていた(=日本と同じ)と記憶しているので、ルミからカン・マエにチョコ(と結果的にそれ以上)を贈ってもらうことにしました。